日本清酒発祥の地
The Birthplace of Japanese Sake

日本清酒発祥の地「奈良」

The Birthplace of Japanese Sake: Nara

大神神社

神々と酒の繋がり、大神神社

奈良県桜井市三輪にある大神神社には酒の神である大物主大神が祀られ
全国の酒造家の信仰を集めております。

杜氏の祖を祀る、活日神社

さらに、その境内には杜氏の祖といわれる高橋活日命(たかはしいくひのみこと)を祀った活日神社もあります。
また三輪に係る枕詞が「味酒(うまざけ)」ということからも奈良と日本酒が、
いかに関係深いかを窺い知る事ができます。
活日神社
日本書紀 崇神天皇御紀

日本書紀に記された高橋活日命

国中で疫病が大流行し天皇もその対応に苦慮されている時、
夢の中で大物主大神様から「天皇の子孫である大田田根子(おおたたねこ)を祭主にし、
酒を奉納しなさい」というお告げがあり、
杜氏の高橋活日命(たかはしいくひのみこと)を呼び、
一夜で酒造りを行い神酒を奉納すると、
疫病は去り国が栄えた物語が日本書紀の一節に記されています。

朝廷から寺院へ

From the Imperial Court to the Temples

酒は、古くから色々アレンジされ、楽しまれてきたようです。平安時代に編纂された「延喜式」には十四種類もの酒について記述があり、平城京跡からは清酒(スミサケ)、白酒(シロキ)、黒酒(クロキ)、薬酒などさまざまな種類の酒を記した木簡が出土しております。しかし、ここでいう清酒は、濁酒を絹で濾したり上澄みしたものでした。

現在、飲まれているような清酒が造られるようになるには、政治の中心が貴族から武家へと移る中世まで待たなくてはなりません。それは、酒造りの中心が朝廷から寺院へと移る過渡期でもありました、大陸文化の終着点でもあり大寺院が集中する奈良では、荘園で作られた米で「僧坊酒」と呼ばれる酒が盛んに造られました。中でも奈良市郊外にある正暦寺で造られたものは画期的でありました。

奈良酒とくだり酒

Nara Sake and Kudari Sake

奈良流は酒造り諸流の根源なり

江戸時代の醸造技術書、童蒙酒造記(どうもうしゅぞうき)には「奈良流は酒造り諸流派の根元にあり、 最も大切な流派である。」という記述があります。奈良流は中世の寺院醸造の中で確立された醸造技術です。

今ではひっそりと山里に溶け込むようにある正暦寺ですが、室町時代の最盛期には八十六もの塔頭(タッチュウ)「小寺院」を抱え大量の僧坊酒を造る大寺院でした。そこでは、仕込みを三回に分けて行う「三段仕込み」や麹と掛米の両方に白米を使う「諸白(モロハク)」造り、酒母の原型である「菩提もと(ボダイモト)」造り、さらに、フランスでパスツールがワインの火入れ方法を発見する四百年以上も以前に腐敗を防ぐための火入れ作業を行うなど近代醸造法の基本となる酒造技術が確立されていました。また、この頃には大工道具の発展により、それまで壷や甕による酒造りから大桶を使用した酒造りが可能となり、生産量、生産技術、品質ともに飛躍的に向上した時代でもありました。

そんな酒造りの先進地だった奈良で「奈良漬け」も生まれました。特に「奈良酒」「諸白(モロハク)酒」は高級酒の代名詞となり、当時の葡日(ポルトガル)辞典に記載されている酒に関わる単語のほとんどが奈良酒に関わりのある語で占められていました。また、幕府が開かれた江戸でも「奈良酒」は珍重され「くだり酒」として奈良から江戸へと運ばれました。以上のように歴史的背景からみても奈良は日本清酒発祥の地であると言うことができます。

「奈良酒」紹介動画

Long Version

Video introduction to "Nara Sake"